1999

 90年代最後を締めるのは、やはりこの2人だった。新日本プロレス・武藤と全日本プロレス・三沢。メジャーの誇る両雄がMVPベストバウト選考でマッチレースを争った。 年間最優秀選手賞にノミネートされたの…

 90年代最後を締めるのは、やはりこの2人だった。新日本プロレス・武藤と全日本プロレス・三沢。メジャーの誇る両雄がMVPベストバ…

1998

 小橋の熱血ファイトが2年ぶり2度目のMVPを呼び込んだ。「本命不在」とささやかれ、大混戦が予想された今年のMVP選考だったが、フタを開けてみれば1回目の投票で小橋が過半数の13票を獲得。次点(三沢…

 小橋の熱血ファイトが2年ぶり2度目のMVPを呼び込んだ。「本命不在」とささやかれ、大混戦が予想された今年のMVP選考だったが、…

1997

 97年のマット界は蝶野に始まり、蝶野に終わった1年と言っていい。米国みやげの黒いTシャツを着て2月の新日マットに凱旋して一気に大ブレーク。NWOブームを巻き起こした蝶野が文句なしにMVPをゲットし…

 97年のマット界は蝶野に始まり、蝶野に終わった1年と言っていい。米国みやげの黒いTシャツを着て2月の新日マットに凱旋して一気に…

1996

 MVPの選考は、年間最高試合賞天龍を含めて小橋、田上明、橋本真也の4人で争われた。天龍は当然として、田上は『チャンピオン・カーニバル』と『世界最強タッグ決定リーグ戦』、そして3冠、世界タッグを保持…

 MVPの選考は、年間最高試合賞天龍を含めて小橋、田上明、橋本真也の4人で争われた。天龍は当然として、田上は『チャンピオン・カー…

1995

 武藤VS高田戦を頂点とする10・9とする東京ドーム決戦は、大会自体が〝ベストバウト〟に値する。選考委員の間から、期せずして声があがり『特別大賞』を大会を実現させた新日プロとUインターに贈っては? …

 武藤VS高田戦を頂点とする10・9とする東京ドーム決戦は、大会自体が〝ベストバウト〟に値する。選考委員の間から、期せずして声が…

1994

 MVP争いでまたひとつ乱が起こった。94年日本マット界のもうひとつのキーワードは「ジュニア大戦争」。ライガーが中心になってジュニア・オールスター戦が実現。スーパーJカップに、ベスト・オブ・スーパー…

 MVP争いでまたひとつ乱が起こった。94年日本マット界のもうひとつのキーワードは「ジュニア大戦争」。ライガーが中心になってジュ…

1993

 86年から88年にかけて、3年連続でMVPを制した天龍。ベストバウトも87年から89年、91年と4回受賞した。〝俺たちの時代〟の代表者として日本マット界の顔となっていた。 ところが、92年は受賞者…

 86年から88年にかけて、3年連続でMVPを制した天龍。ベストバウトも87年から89年、91年と4回受賞した。〝俺たちの時代〟…

1992

 ベストバウトは29歳の川田。MVPは30歳の高田。2大グランプリを、若きエースが制した。殊勲賞も29歳の蝶野。31歳の田上が敢闘賞。技能賞のドラゴンは26歳。最優秀タッグチーム賞を獲得した反選手会…

 ベストバウトは29歳の川田。MVPは30歳の高田。2大グランプリを、若きエースが制した。殊勲賞も29歳の蝶野。31歳の田上が敢…

1991

 最優秀選手賞(MVP)の鶴田も底力を示した。全日プロで三沢、小橋、菊地らが巻き起こした超世代軍の波を1人で受け止め、最終的には押し返して見せた。1月に〝不沈艦〟スタン・ハンセンから3冠王座を奪取。…

 最優秀選手賞(MVP)の鶴田も底力を示した。全日プロで三沢、小橋、菊地らが巻き起こした超世代軍の波を1人で受け止め、最終的には…

1990

 まさに戦国時代の象徴だ。邪道、キワモノ、名勝負、死闘……世間の評価は真二つに分かれている。自らも「何が飛び出すかわからない」と断言。従来の常識を破天荒に突き破る大仁田厚が〝2冠王〟に輝いた。激動の…

 まさに戦国時代の象徴だ。邪道、キワモノ、名勝負、死闘……世間の評価は真二つに分かれている。自らも「何が飛び出すかわからない」と…

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